「いかにも、愚拙が高梨である」
老人ははっきりとした口調でそう言った。
――啓二とミアは、竪穴式住居に住むという謎の老人に会いに、自転車二人乗りで隣町までやってきた。
時代錯誤のその住居は程なく見つかったが、中には人一人おらず、入り口に張られた「ご用の方はこちらまで」という紙の地図を頼りに、二人はこのマンションまでやってきた。屋上に設置された給水塔(?)からは、白い蒸気がまるで『煙』のように夜空に向かってたなびいており、ミアの預言の正しさを物語っていた。
ただ、三〇五号室の住人・高梨老人の登場シーンまでは、ミアの預言はおろか、啓二の想像力も追いつかなかった。
水玉模様のパジャマ。
にゃんこスリッパ。
ピンク色のナイトキャップにはご丁寧に、ネズミのような丸い耳まで付いている。
そして、下段に構えるソレは、なまめかしく刀身を光らせる日本刀――。
「…………」
「愚拙に何用であられるか」
唖然とした面もちで玄関先でつっ立っていた啓二は、はっと我に返った。
「あ、あの……」
「喝っ!」
次の瞬間、老人は唾を周辺に撒き散らしながら、マシンガンのごとく啓二に向かってたたみかけた。
「貴殿に尋ねるこのような夜更けに見ず知らずの老人宅の門を叩き貴重な睡眠時間と残り少ない我が青春の時間を削るだけの理由を持ち合わせておるか否や返答如何によっては貴殿の首をはねる所存故に直ちに我が質問に答えよいざ!」
「……いや……その……」
訳も分からず老人の剣幕とエモノの恐怖に押され、啓二は今すぐに回れ右をしてこの場から逃げ出したかったが、――かわいい女の子の手前、少しはカッコイイところを見せようと、なけなしの勇気を振り絞った。
「えっと、あの、あの、用があるのは俺じゃなくて、実はこっちの女の子……あれ?」
ミアを紹介しようと後ろを振り向くと、――彼女の姿はなかった。
老人の姿に驚いて逃げ出した?
……いや、十分にあり得る。
「あ、あれれ??」
急に不安になった啓二は辺りをきょろきょろと見回した。
「ど、どこいっちゃったのかな……ミア?」
「む」
瞬間、老人の目つきが更に険しくなったと思うと、一歩、啓二の方に踏み出した。
「……ミア、ですと?」
「そ、そう、連れの女の子の名前で……」
「皆まで言わぬともよろしい」
高梨老人はおもむろに瞼を閉じると、左手を自身の胸に当て、日本刀を手にした右の腕をまっすぐ上に向け突き出した。
啓二の脳裏に「デジャ・ヴ」という単語がよぎった。
「……むーう、といやっ| といやっ! ほいさっ!」
そして、世にも奇天烈なツイスト・剣舞が始まった。
それは先ほどミアが披露した「神様との交信術」とうり二つであった。
――かっきり二分四七秒後。
「む、うむむむう?」
手足の動きを停止した老人は、かっと両の眼を開いた。
「なんと、貴方様は『次元鍵《じげんかぎ》』様で御座いましたかっ!」
言うや否や、高梨老人は啓二の前に駆けつけ、突然、地に平伏した。
「こ、これは、大変御無礼仕りました、どうか平にご容赦下さりますよう。――もし愚拙の無礼許して頂けぬなら、拙首、この刀にてひと思いにお切り下さいませ!」
しわの刻まれた額を、必死にコンクリートにこすりつけ、目の前の日本刀を啓二の方に押し出した。
「あのあのあああああああの、あの?」
突然の出来事におろおろとしていると、横からひょいと誰かが顔を出した。
「にゃははは。モモちゃんあいかわらず元気そーだね」
「ひ、姫!?」
「ミア!?」
啓二と老人は同時に声を上げた。
「やっほー。お久しぶりだね」
「深亜《みあ》様、よくぞご無事で!」
「うん。啓ちゃんに連れてきてもらったの」
「さ、左様でしたか……ううっ」
「泣いちゃ駄目、さあ立ってね、モモちゃん」
老人はミアの手に引かれて立ち上がると、目に溢れる涙をパジャマの袖で拭いながら、何度も満足そうに頷いた。
「……あ、あのさ、お取り込み中ちょっと悪いんだけど」
啓二は遠慮がちにミアに尋ねた。
「その……モモちゃんってのは……?」
「ん? モモちゃんはモモちゃんだよ」
「…………」
啓二は出来るだけゆっくりと、老人の方に顔を向けた。
目と目が合う。
老人は泣き腫れた目で不器用にウィンクを返すと、腰に両手を当て、胸を張りながら、しかしぶっきらぼうに答えた。
「改めましてご挨拶致します。愚拙、姫様の幼少のみぎりよりお世話をさせて頂いております、浮名を高梨桃太郎《たかなしももたろう》と申す老人でございます。――次元鍵様におかれましては、深亜様同様、特別に、愚拙の事を愛情を込めて『モモちゃん』とお呼び下さりますよう」
――ナイトキャップの耳は、ネズミじゃなくてクマなのか。
啓二は一人納得した。
と同時に、忘れかけていたもう一つの疑問が、はっきりとした形となった。
「ちょ、ちょっと待った、さっきからの、その『ジゲンカギ』様って、一体なんだよ?!」