薄羽蜻蛉

 裸電球の明かりに誘われてか。

 どこからともなく一匹の羽虫が迷い込んできた。

 二人がじっと見守る中、それは電球の周りをふわりふわりと周回していたが、やがて程なく、そっと敦子の肩の上に止まった。

「ウスバカゲロウ」

 表情を変えずに真人は言った。

 敦子は団扇を床に置くと、そっと自分の人差し指を差し出し、その上にとまらせた。

 細く柔らかな透き通った羽を閉じ、はかなげな呼吸をしている。息を吹きかけるだけで容易に壊れてしまいそうだと、敦子は思った。やがてその思いを読んだのか、ウスバカゲロウは再びしっとりとした暗闇へと飛び去っていった。

「綺麗ね」

「何が?」

「さっきの虫。まるで氷細工みたい」

「お前らしい表現だな」

 真人はズボンの後ろのポケットから、しわくちゃになった煙草の箱とライターを取り出すと、煙草の先に火を付け、口に運んだ。くゆらした淡く青みがかった煙が、揺らめきながら上昇し四散する。その様を敦子は無言で見つめていた。

「アトビサリ」

「え?」

 突然の謎掛けのような言葉に、敦子はきょとんとした顔で瞼をしばたたいた。

「何、それ?」

「虫の名前。知らない?」

「もう」

 笑いながら団扇を拾い上げると、少しおどけた表情で口をとがらせ、相手を見た。

「ねえ、真人。久しぶりの二人きりのチャンスなんだから、ムード壊さないでね」

「精一杯努力しているつもりだけど」

「どうかしら」

 真人のセリフがおかしかったのか、敦子は口元に手を当て、クスリと笑った。

「で、さっきのアト……何とかっていう……虫?」

「アトビサリ」

「そう、そのアトビサリがどうかしたの?」

「知らないのならいい」

「駄目」

 急にきっぱりと強い口調で敦子は言い、姿勢を正し相手の正面ににじり寄った。

「ちゃんと説明して」

「…………」

 殊の外、目つきが真剣だ。

(負けず嫌いなところは相変わらずだな)

 真人は敦子の強い視線からそっと目を逸らすと、心の呟きを大きな煙の塊として宙に吐き出した。

「じゃあ、ヒントを出そうか」

「うん。お願い」

「アリジゴクは知ってる?」

「…………」

 砂地に生活する獰猛な昆虫の映像が脳裏に浮かんだからであろう。

 敦子は露骨に顔をしかめた。

「ねえ、それって……砂に穴を掘ってアリとかを食べる虫……でしょ?」

「そう」

「何か関係あるの?」

 その問いに答える代わりに、真人は短くなった煙草を床でもみ消し、ゆっくりと立ち上がった。

「ヒントその二。アトビサリはアリジゴクの別名」