山里の花

 昔、左近中将の舎人にて、形有様美麗にして、やんごとなき者とて用ゐられける男ありけり。その男、刑部の君とてさぶらひ給ふ女御の許に、中将の御使とて行きけるに、薄色を着、形清げに髪長くして、よき女房なむありける。思ふ様なりとて語らひければ、いとかしこく思ひ交はし、その後、異心なかりけり。

 しかるに、中将の摂津守になりてその国に下り給ひけるに、男、共に下りたり。年来添ひける女を具さんと欲せど、女御、女を睦じき者にして、あはれに思したりければ、女も思ひ通はして残りにけり。

 男、上がりける便りにつけて、あはれなる文どもを書き起こせども、その後、絶えて久しくなりにけり。女、心細く思ひ嘆きつつ居たるに、またの年の、雨のそほ降り花の多く散りける程に、かの国より、詞はなくて云ひおこせたりける、

いかにしてかく咲きまどふ花をだに

人づてならで君に知らせむ

 女、いといたう泣けども、その返しをもせで館の柱に歌を書き付けける。その後、音もせずなりにければ、更に二年越えにけり。

 摂津守の任終わりて上り給ひたるに、男も返りたり。急ぎ館に行きければ、前に似るべくもあらず荒れ増さりたり。うち泣きて、いづ方に求め行きけるに、あばらなる板敷の柱に、女の手にて書きたる歌を見付けたり。

枯れ老ひて問ひ人ぞなき山桜

今は限りと云はましものを

 男、いとあさましくて、涙をこぼしけり。これは、女御が思ひ懸けず身に病を受けてはかなく失せ給ひて後、女、一月ばかりを経て死にけるが、男はかかる事をば知らで二年を過ごしにけり。

 その歌は生にて失せでありけると伝へたるとや。