登呂遺跡見学レポート ( written by たま )

その零 潜入登呂遺跡。




「リレー小説、始めてちょうど一年ですねー」


 二人三脚でリレー小説をやっているRantさんとのメールのやり取りで出た一言から始まった「登呂遺跡見学オフツアー」。別名「取材旅行」。9月15日に二人で行ってきました。

 朝10時、東名三好インターを出発(私の家がすぐ傍なんです)。サービスエリアで抹茶ミックスソフトを食べたりしながら、ぼーっと車を走らせ約2時間。お昼ちょっと前に静岡インターに到着しました。とりあえず手近なファミレスで昼食を済ませ、すぐさま再出発。看板を頼りにちょっと車を走らせると、程なく目的地に到着しました。

(後で判明した事ですが、看板に誘導されるままに到着する南側の駐車場には止めてはいけません。北側に無料の駐車場があります)



 車を降り、地図を頼りに北に向かって歩き始めると、左に軒を連ねる土産屋、右に雑木林という道がしばらく続きます。それが終わると、次に目に入って来るのが、赤米の稲穂がそよぐ復元された水田。杭や矢板(でしたっけ?)を使った大規模な水田跡に、惜しげもなく稲を植えてしまうところが、何とも分かりやすいというか、大雑把というか、勿体無いというか――。何だか複雑な気分です



復元水田



 当時の風景もこんな感じだったのかなーとか思いながら林の中の道をぼちぼち歩くと、ありましたありました。小学校の教科書でも見た復元竪穴式住居。



復元竪穴式住居(説明文)


復元竪穴式住居(外観)


復元竪穴式住居(内部)



 公園内に幾つかのバリエーションがありましたが、大体どれもこれと同じ感じ。それにしても、これだけのものを萱葺きで作るのって、板葺きよりも大変そうに思えるんですけど?

(実家の屋根が萱葺きなので余計にそう感じます)

 ちなみに中はひんやりとして気持ちよさ気でした。思ったより快適かも。



竪穴式住居跡(水浸し)



 上の写真は、出土そのままの竪穴式住居跡。リレー小説の中でやったように、中央で穴を掘ろうと思えば簡単に掘れます。特に監視の目もありません。(こらこら)

 前日の雨の為に周囲は水浸し状態で、雑草の黄緑色が鮮やかに輝き、美術モニュメントみたいでした。


 そして忘れてはいけないのが、収穫した米を保管したと言われる、復元高床式倉庫。



復元高床式倉庫



 外見的には人間の住居(復元竪穴式住居)よりもこちらの方が立派に見えるのですが、これが真の姿なのかはちょっと謎です。人が居住していた可能性は? 物見櫓の可能性は? 宗教的建造物の可能性は?

 専門家じゃないので勝手な想像が膨らみます。小説のネタとしても面白そう。


 あと写真にはありませんが、公園のほぼ中央に「登呂博物館」があります(建物は高床式倉庫をモチーフとしたデザインです)。1階は当時の生活を再現した体験コーナー、2階は出土品コーナーとなってます。個人的には2階が面白かったです。これこそ他人の想像が入っていない真の証拠物ですからね。

――あ、出土品のお品書き本を買ってくるのを忘れちゃった。




 以上、駆け足・登呂遺跡見学レポートでした。




番外編




 登呂遺跡見学が結構早く終わってしまったので、時間潰しに「三保の松原《みほのまつばら》」に行ってきました。登呂遺跡から南東の方角、砂嘴《さし》の先端にある防砂林で、富士を望む景勝地として有名な場所です。

 下の写真中央は、天女が羽衣を枝に掛けたという伝説が残る「羽衣の松」。逆光な上に写りが悪くて分かりづらいかもしれませんが、結構大きな枝振りです。高さ・幅共に10mくらいでしょうか? 羽衣を掛ける側もそれを取る側も大変そうです。


「当時はもっと小さな松だったのかな?」

「昔の人は巨人だったとか」

「おーなるほど」



羽衣の松(失敗)



 海側から松原を見た景色。――こちらも写りが悪いですね。(^^;

 ちなみに天気が悪くて富士山は見えませんでした。残念。



三保の松原(失敗)



 余談ですが、羽衣の松の近くにあるミホ神社は「御穂」という漢字が当ててありました。どちらが古い漢字かは分かりませんが、何やら意味深ですよね?