第7回 ( written by たま )

その弐 風雲亜空間。




 JR静岡駅からバスで一五分ほどの距離にある登呂遺跡。歴史の教科書に必ずと言っていいほど登場するこの遺跡は、第二次大戦中の一九四三年、軍事工場造成中に発見され、日本で初めての弥生時代の水田跡という事で一躍有名となった。現在は史跡公園として一般に公開されており、敷地内にある、出土品の展示を行っている博物館を除き、その他ほとんどの遺構は公園内に屋外展示されており、それこそ二四時間、いつでも誰でも自由に見学が可能である。

 ――という訳で、心配していた進入路に関しては杞憂に終わり、何の気兼ねもなく三人は目的地・登呂遺跡の中に入る事が出来た。

 まず、広場の中央でミアとモモちゃんが『神様からの啓示』の受信を行った。その結果として二人が指定したのは、かつて竪穴式住居があったとされる円形の土台基礎部の一つ。別空間にあるという邪馬台国に渡る為には、ここを掘る事が必須条件らしい。

 周囲を囲む低い柵を難なく乗り越えた三人は、短い芝の生い茂ったその中央で、道中のコンビニで入手した折畳式の携帯シャベルを手に作業を始めた。



【註:よい子は絶対にマネしてはいけませんッ!】



「なあに、掘るとは申しても、たかが二、三メートルで御座りまする。愚拙、普段より農作業に従事しておりますので、これきし何でも御座いませぬ。深亜様と次元鍵様は、そこいらで見物でもして下され。すぐ終わりまする」

 作業を始めるに当たり、高梨老人は何でもない事のようにさらりと言った。

 だが、いざ始めると、すぐさま高梨老人の腰に激痛が走った。

 いわゆるぎっくり腰である。

 ――結局、掘削作業は啓二が担当し、高梨老人は腰をいたわりながら土の運び出し、そしてミアは見張り兼照明役という体制で作業を再開した。

 啓二は、目に入った汗をハンカチでふき取ったついでに腕時計を見た。午前三時半少し前。作業を始めてそろそろ一時間と少し経つ。僅かではあるが、東の空もぼんやりと明るみ始めている。いつもなら熟睡している時間に、このような場所でこのような重労働を行う羽目になるとは、昨日まで予想だにしなかった。

「でも、これって、やっぱ、犯罪だよなあ」

 啓二はぶつぶつ独り言を呟きながら、再び足下の硬い土にシャベルを入れた。

「だってさあ、文化財だろ、ここ?」

「へへ。それはだいじょーぶ!」

 丁度背丈ほどまで掘り下げられた穴の上から、ぺたんと地面にしゃがみ込み頬杖を付いた格好で、ミアはにっこりと微笑んだ。

「だって、元はボク達のご先祖様のムラだったんだからね〜」

「…………」

 法治国家・日本において、千年も二千年も前の所有権が通用するか、啓二には甚だ疑問であったが、敢えてそれを口にはしなかった。

「それはそうと、――どうしてココな訳?」

 啓二は先ほど思いついた別の質問を発した。

「……邪馬台国って言ったら、やっぱ、関西か九州かどっちかじゃないの?」

 啓二が掘った土をプラスチック製の洗面器に入れる作業をしていた高梨老人は、おもむろに振り向くと、素人はこれだから困る、という風に鼻を鳴らした。

「――次元鍵様はこちらの世界で唯一とも言える、我が国に関する文献について、どの程度知識をお持ちですかな?」

「それって『魏志倭人伝』の事?」

「左様。但し、『魏志倭人伝』なる名の書物は存在しませぬ。陳寿の手による歴史書『三國志』、それが正式な書物名です。その中の『魏書』に『烏丸《うがん》鮮卑《せんぴ》東夷伝』に『倭国』として秋津島(日本)が登場する事から、通称『魏志倭人伝』と申しているのであります。――まあ、要は演義ではない方、つまり正史の三国志でありますな」

「はあ」

「時に、その書物に記述されております、邪馬台国の位置、言えますかな」

 まるで学校の歴史の教師のような老人の質問に、啓二は小さく肩をすくめた。

「……えっと、どういう経路をたどるか全然覚えていないけれど、確か、記述の通り進むと、日本から離れちゃうから、結局どこに邪馬台国があるのか分からなくて、……方向が違うとか、距離の単位が違うとか、そんな理由で、畿内とか九州にこじつけて解釈しているんじゃなかったっけ?」

「ほお、なかなかいいスジをお持ちですな」

 老人の目がきらりと怪しく輝いた。

「しかしながら、失礼ですが、情報源にやや偏りが御座るのが問題ですな。――仕方ありませぬ、この愚拙、次元鍵様の為に一肌脱ぎ、我が国についてご説明致しましょうぞ」

「……いいよ、忙しいし」

「はっはっは。なーに、愚拙と次元鍵様との間柄に遠慮は要りませぬ」

「…………」

 余分な質問をしなけりゃよかったと後悔するとも時遅し、今の高梨老人の目は、獲物を補足した蛇のそれであった。勿論、獲物とは啓二の事である。さしずめ、青大将と雨蛙といったところか。

「さーて、モモちゃんの邪馬台国講座、始まり始まり〜☆」

「こらミア、あおるんじゃないっ!」



 一時間強、老人の説明は続いた。



 概要をかいつまんで説明すると、次のようである。

 魏志倭人伝に邪馬台国が登場する三世紀初頭の中国は、後世「三国」と呼ばれる戦乱の世、魏は確かにその中でも抜きん出た力を持っていたが、所詮は地方政権の一つ。かつての「漢」王朝のような威厳はない。しかも、前王朝(後漢)を滅ぼしたという後ろめたさもある。更に、当時、魏は朝鮮半島の北部にあった独立勢力・公孫家(公孫淵《こうそんえん》)を辛くも滅ぼした直後であり、政局的に不安定な時期にあった。

 そんな時に、時の魏の皇帝「明帝(曹叡《そうえい》)」の前に、「ヤマタイ」という見知らぬ国から朝貢の許可を求める使者が来た。

 聞けば、東の海上に浮かぶ小島の一国であると言う。少しでも自国の威信を誇示したい曹叡は、当然のように彼らを丁重に扱った。

 ――だが、そもそも、ヤマタイは大国ではなかった。実は「ヤマタイ」とは、日本の地方豪族が治める邑《むら》の連合体、一言で言えば、小国の寄り合わせである。

 だが、実際にその事実が判明したのは、彼らを受け入れた後で、曹叡としては、世間体から、引くに引けない事態となってしまった。海を渡り朝貢を求めてやって来て、自分達が丁重にもてなした者達が、鄙びた国の出身だとは口が裂けても言えない。

 また、ヤマタイ側としても、何としても中国から称号を貰い、その威信を後ろ盾にしたい為、使者の言葉にも自然と誇張が入る。

 両者の相乗効果により、いつの間にか「倭国の覇国・邪馬台国」という虚構のイメージが出来上がってしまったのである。

(当然ながら、この辺りの経緯は、魏志倭人伝には書いていない)

 もう一つ、特記すべき点は邪馬台国の位置である。朝貢の許可願いの返答として、魏からの使者が邪馬台国を訪れた際に、彼は途中から「亜空間」を通り、目的地に辿り着いたのだ。つまり、魏志倭人伝の記述は正確であるが、「こちらの空間」にいる限りは、絶対に辿り着けない。――これが事実だそうだ。

 なお、今啓二達がいる登呂遺跡のあった場所は、かつて「烏奴國《うなこく》」という国(邑)があった場所で、最盛期、邪馬台の勢力範囲の東端に当たる地域であったらしい。つまり、自分達の組織に属しない集団との前線基地であったのだ。

「――ちなみにもうお判りだと思いますが、我が国はいわゆる大和国の前身では御座いませぬ。先にも申しましたが、我等の先祖は居住空間もろとも彼の地に居を移しましたので、現在こちらの空間に存在する遺構の大半は、その後に渡来系の大和が作りし建造物で御座いますな」

「はあ。なるほどぉ……」

 啓二は徹夜の寝ぼけ頭で気のない返事をしつつ、シャベルを地面に突き刺した。


 ゴツ。


「……あれ?」

 何やら硬いものがシャベルの刃の先に当たった。

 見ると、土の間から赤い陶器のような何かが覗いている。

「これって、土器か何かかな?」

「むむっ、むむむむむむむ?!」

 突然、啓二の横合いからぬっと高梨老人が顔を出した。

「次元鍵様、ちと場所を代わって下さらぬか」

 狭い縦穴の中で老人は啓二と身体を入れ替えると、しゃがみ込み、素手で土を取り除き始めた。

 啓二とミアが見守る中、老人の作業は続いたが、しばらくすると、七、八〇センチメートル四方ほどの大きさの、赤茶色に焼けた正方形の蓋のような物体が顔を出した。中央部に高床式倉庫のような建物をモチーフとしたイラストが描かれており、その周囲を無数の渦巻き状の模様が描かれているのが特徴だ。

 高梨老人はごくりと唾を飲み込んだ。

「姫様、……どうやら目的の場所に達したようで御座います」

「えっ、ホント?!」

 唐突に、ミアは穴の下に目掛けて飛び降りると、見事着地に成功し、啓二とモモちゃんの手を取って喜んだ。

「わーい。やったね☆」

「……疲れた……早く……帰って寝たい……」

「何を申されますか。これからが次元鍵様の出番で御座います」

「はあ……」

 喜びもつかの間、その時、三人の頭上に眩いライトが照り付けられた。