第5回 ( written by たま )

「あ。タクシーだ!」

 黄色い車体のタクシーを真っ先に見付けたミアが嬉しそうに声を上げた。

「ねえモモちゃん、あのタクシー乗ろうよ、タクシー!」

「それは良い考えで御座います。時間が時間ですので公共交通機関は期待出来ませぬし、ここより彼の地までは幾らか距離が有りますので」

「ちょっと待て、これから一体どこに行くって言うんだよ?!」

「にゃは。それは着いてのお楽しみ☆」

「あのなあ」


「ふっ。ここで会ったが百年目」


 その声に三人が振り返ると、オレンジ色の街灯の下に、漆黒のフード付きローブに身を包んだ背の高い男が立っていた。

 男は、不適な笑みを浮かべたまま三人の顔をゆっくりと見回した。

「むむむ、何奴?」

 高梨老人は腰に吊るした日本刀の柄に手を掛けた。

「――怪しい奴がらめ、名を名乗りなされっ!」

「ふっ。私は無駄なお喋りは嫌いだ」

 男は同色のマントをバサリと翻すと、鼻で笑った。

「用件のみ言う。邪馬台の血を引きし少女と老人よ、ディメンジョンキー《次元鍵》をこちらに渡すのだ」

「いーだ」

「……次元鍵様、ここは我らがお守り申す故、ご安心下され」

 二人は啓二を庇うかのように半歩前に出ると、男との間に壁を作った。

「ふん、話が分からぬのなら、貴様達には用はない。――では、ディメンジョンキーの宿命を負いし少年に問う」

 啓二はきょきょろと辺りを見回した。

「お、俺?」

「貴様は何故にこ奴等に力を貸すのだ」

「なぜって言われても……ねえ」

 啓二はちらりと二人の顔を見た。

 初めて見るミアの真剣な眼差しが目に入った。

「まあ強いて言うなら――成りゆきと好奇心?」

「馬鹿な。そんな下らぬ理由では話にならぬ。――そこをどけッ」

「きゃ!」

「ぬおっ!?」

 男は邪険にミアと老人を突き飛ばすと、啓二と対峙した。

 頭一つ分高い位置から、鋭い目つきで啓二を見下ろす。

「ディメンジョンドア《次元扉》のセッションチケット《認識票》、そしてサブスペース・クリエーション《亜空間生成》という、二つの能力を合わせ持つ貴様の力を手に入れれば、我らの望みも叶うのだ」

 男は啓二の方に手を伸ばしたかと思うと、いきなり頭髪をむずりと掴んだ。そしてあろう事か、そのまま片手で軽々と身体ごと持ち上げた。

 啓二の毛根が一斉に悲鳴を上げる。

「あ、あいたたたたあっ、何するんだよっ!」

 啓二の非難の声を無視し、更に髪の毛をぐいぐいと引っ張った。両手両足を使って必死の抵抗を試みたが、成す術がなかった。

「さあ来い。そして、我らと共に新たな歴史を刻むのだ」

「や、やめろ、痛いってば!」

「ちょっと、啓ちゃんに何するのよ!」

 生きた次元鍵こと橋本啓二を土産にこの場を立ち去ろうとする大男の前に、腰に手を据えたミアが立ちはだかった。

「その手、放しなさいよ、ヘンタイ!」

「……変態?」

 一瞬の隙をつき、啓二は男の手を振りほどいた。が、その際にブチッという音と共に何本かの頭髪が奪われ、背中から地面へと放り出された。

 ミアと高梨は慌てて駆け寄ると、心配そうに啓二の顔を覗き込んだ。

「啓ちゃん、大丈夫?!」

「だ、大丈夫……みたい」

 彼らの様子を見て、男は冷ややかに笑った。

「ふふん。揃いも揃ってあざとい演技は止めるのだな。貴様等も所詮こやつの能力にしか興味がないのだろう?」

「……ボク、怒ったぞ」

「やるか? やれるならやってみるがよい」

 男は黒ローブの中から、意外にも白く細い腕を出すと、口の端に笑みを浮かべながら手の間接をボキボキと鳴らした。この自信の程、そして先程、片手で啓二を軽々と持ち上げた事から判断しても、相当の腕力の持ち主ようである。

 ミアは不機嫌気味な表情で男を睨むと、左腕を肩の高さに上げ、人差し指を真っ直ぐにフードの男の顔に突きつけた。一瞬、辺りの風が凪いだかと思うと、背中のマントがふわりと揺らいだ。

 次の瞬間――。


「伏せっ!」


 ズベシャッ!

「な、なにい――っ?!」

 突然、男は地面にめり込むかの勢いで倒れ込むと、両手両足を大の字に広げ、砂利の地面に張り付いた。完全に「伏せ」の体勢である。

「き、き、貴様ぁ、呪《しゅ》を使うとは卑怯なり!」

「しゅ?」

 啓二は首を傾げた。

「……って何?」

「呪とは呪い、つまり呪術の一つで御座います」

 モモちゃんこと高梨老人がすかさずフォローを入れた。

「言葉の魔力で相手を意のままに操る技で、深亜様を始めとする邪馬台国の歴代継承者に伝わる秘術で有ります」

「へえ、すごい……」

 啓二は嘆息を漏らした。

 その間も謎の大男は起き上がろうともがいていたが、まるで巨石が背中に乗ったかのように、地面に吸い付けられたままぴくりとも動けなかった。ある程度自由に動かせるのは、第二関節から先の指先、そして口くらいであった。

「き、貴様、早くこの術を解き、正々堂々と我と勝負をしろっ!」

「べーだ」

 ミアは男に向かってあかんべえをすると、啓二の腕を取った。

「今のうちに行くよ!」

「あ、ああ」

「こら、待て、待てと言うのが分からぬのかぁ〜〜っ!」

 ひきつった男の声を残し、ミアと啓二は道路の方に向かって駆け出した。

 その後ろを、高梨老人が息を切らせながらついていく。

 三人が道まで出ると、今し方、黒ローブの男をここまで運んできたタクシーが、少し離れた場所でハザードランプを点滅させながら止まっていた。

 これ幸いと三人は、ミア、啓二、高梨老人の順に乗り込むと、バタンと勢いよくドアを閉めた。

 それを合図に運転手が後ろを振り向いた。

「お客さん達、どちらまで?」

「登呂遺跡!」

 運転手は、約二百キロ離れたその行き先を理解するのに数秒の時間を要した。



 呪の効果が切れ、黒フードの男が起き上がれるようになった頃には、三人の乗った黄色いタクシーは、既に闇の彼方に去った後であった。

 砂埃を含んだ深夜の夜風が、フードをはためかせながらむなしく通り過ぎて行く。

「…………」

 男はふと、右の手に何かを握り締めている事に気付いた。

 ゆっくりと掌を開く。

 指の間に、数本の黒い頭髪が挟まっていた。

 先のドタバタの際に、啓二の頭部からもぎ取ったものである。

 呆然とした表情のまましばらく無言でそれを見つめていたが、突然、何かを思い付いたのか、口元にニヒルな笑みを浮かべた。

「ふっ。――勝機は我らにあり」

 その頬にはまだ小石がいくつもめり込んでいた。