第13回 ( written by たま )

 啓二とミアは害蟲駆逐兵《デバッガー》の落下点までやって来た。

 下から見上げると、空一面真っ黒な異物に覆われ、街全体が彼らによって包み込まれてしまいそうな感じがした。

 何はともあれ、ぐずぐずしている余裕はなさそうである。

「啓ちゃん、目を閉じて」

 言われるままに啓二が目を閉じた瞬間、いきなり両瞼が柔らかな手で覆われた。

 背中から抱きつくような格好でミアが目隠しをしたのだ。

「な、何だよ急に!」

 どぎまぎしながら啓二は答えた。

「落ち着いて深呼吸して。ほら、白いキャンバスが見える?」

 視界が乳白色に覆われた。これがミアの言うキャンバスだろうか。

「ああ、とりあえずOK」

「いい? 今から見えるものをあるがままにイメージしてね」

「見えるものをあるがままって……日本語になってないような気がするんだけど」

 それよりも、目を覆う温かい掌の感触や、背中から感じるミアの息遣いが気になって仕方なかった。

 ――と、いきなりセーラー服姿のミアが視界に現れたかと思うと、顔を赤らめはにかんだ様子で、啓二に向かって投げキッスをした。

「なっ、何だよこれ!?」

「ちょ、ちょっと、どうしてここでボクが出てくるの!」

 二人は同時に声を上げた。

「今はこっちに集中して、変な事、想像しないでよね!」

「そんな事言ったって、仕方ないだろ」

「んもう。もう一度最初からやり直すからね!」

 再びキャンパスはまっさらな状態に戻った。

 今度はミアではなく、クレヨンで描いたようないびつな赤い円が現れた。

「この赤い丸が出たんだけど、これって何?」

「リラックスして。これが今の日本国」

 その円から少し離れた場所に、今度は青い四角形が描かれた。

「そしてこれが邪馬台国」

「…………」

 今度は、赤い円から青い四角に向けて、黄色い線が引かれた。

「そしてこの黄色い線が、今から啓ちゃんに作ってもらいたい、日本国から邪馬台国への搬送道《データコネクションパス》」

「ちょっと待て」

 啓二は口を挟んだ。

「作るって言われても、具体的には一体どうやってやるんだよ?」

「ほら目を開けて」

「…………?」

 目隠しが外された。

 目を開く。眩い光の中、次第に周囲の視界が戻ってくる。

 後ろを振り向くと、ミアがにっこりと微笑んで空を指差していた。

 促されるままに顔を上げる。すると、先ほどまで空を真っ黒覆っていた黒タカアシガニの姿が、嘘のように消え失せ、爽やかな碧天が広がっていた。

「……え?」

「ほら、これで出来上がり☆」

「お、俺がやったの?」

 啓二は目をぱちくりさせてミアを見た。

「そう。ボクはちょこっとナビしただけ。実際に次元扉を使って害蟲駆逐兵《デバッガー》を追い返したのは啓ちゃんの力だよ」

「でも、何にもやっていないんだけど……」

「またまたご謙遜!」

 ミアはドンと啓二の背中を叩いた。

「さっきのやり方でいいの。要は啓ちゃんがちょっとイメージするだけで、異なる次元の空間同士が接続出来るの。簡単でしょ?」

「……簡単って、それはそれで問題がある気がするんだけど」

「大丈夫だって。――それはそうと、そういえばモモちゃん、大丈夫かな?」

「忝い。逃げられ申した」

「うわっ?」

 突然高梨老人が啓二とミアの間に割って入るように現れた。走ってきたのか、全身汗びっしょりで息を切らしている。

「な、なかなかどうして、彼奴、逃げ足だけは速いようで」

「それじゃあ仕方ないよね。ご苦労様。――ちょっと休もっか」

「とりあえず近場の公園まで行きませぬか」

 これだけの騒ぎの後である。辺りの喧騒はまだ止みそうになかったが、少しずつ、ほんの少しずつではあるが、人々は元の生活リズムを取り戻しつつあった。その様子を横目に、三人はゆっくりと歩き始めた。

「ねえミア。一つ聞いてもいいかな」

「なあに?」

「さっき言っていた、ほら何だっけ、敵勢力のカミなんとかのツカサ」

「神有国原宮司《かみありのくにがはらのみやのつかさ》?」

「そう、神有国原宮司っていう奴は、次元扉を開ける事が出来るのか?」

「否、異能を備える、神有国原宮司と言えども、次元扉の開錠や閉鍵までは、出来ませぬ」

 ミアの代わりに高梨老人が答えた。

「それはあくまでも、次元鍵や鍵族《キー・トライブ》と呼ばれる人間に限られた能力であります。――言うまでもなく、次元鍵殿、すなわち啓二殿もその一人でありますな」

「えーっと、じゃあ、俺の親父やお袋や親戚なんかもその鍵族で、次元扉の開け閉めが出来たりするって事?」

「それは違いまする」

 高梨老人はきっぱりと否定した。

「便宜上、鍵族とは申しますが、血の繋がりのある集団ではありませぬ。そもそも、次元鍵は一つの代に一人しか存在しませぬ。なぜならば、次元鍵は別名・主鍵《マスターキー》と呼ばれる事からも推測出来ますように、世界の中央に位置する次元鍵穴《ディメンジョンキー・ホール》によって選ばれた唯一無二の存在であるからであります」

「…………?」

「よろしいですか。我々人間を始めこの世界に生を受けたありとあらゆる生物は、例外なく鍵の保管場所として存在しているのであります。鍵の中でも最も重要な次元鍵に関しては、鍵情報の収容力が最大の種が受け持つ事になっておりますので、この世界の長い歴史を振り返れば、もちろん人間以外の生物が担っていた時代もございました。もっとも、愚拙はその時代には生まれておりませぬ故、あくまでも推測に過ぎませぬが」

 すっかり調子を取り戻したのか、高梨老人は声を上げ笑ったが、話題についていけない啓二には、どこが冗談だったのか考える余裕すらなかった。

「失礼、話が逸れ申した。先ほど、鍵穴が鍵を選ぶと言いましたが、つまり次元鍵の人間がその任を終え生命活動を停止した瞬間、次元鍵穴は次なる鍵に対応するパターンに変化する事を意味しまする。そのパターンとは、この世に存在する鍵候補の中から無作為に選ばれた暗号情報であり、すなわちこの鍵情報を所有する人間が、次の新たな次元鍵となるという訳であります。よって、次元鍵となる者がその血縁者であるとは限りませぬ。寧ろ、確率的にはそうでない可能性のほうがずっと高いですな」

「……あ、あのー、もしもし? さっきから言っている事がさっぱり分からないんだけど……」

「心配御無用。今からゆるりとご説明致しまする故」

「…………」

 啓二の脳裏に赤い警告ランプが一斉に点灯した。

 これはかなり危険レベルが高い警告だ。

 今すぐにでも話題を変えるべきである。

「……そ、それはそうとして、じゃあ、あの変てこなカニロボット達、どうして現れたんだ? 詳しい話はよく分からなかったけど、あいつらをこっちに呼ぶには次元扉を開ける必要があって、結局それは俺にしか出来ないんだろ?」

「そう、そこが謎であります」

 高梨老人は腕を組んで唸った。

「相手が神有国原宮司だとして、彼奴の能力はあくまでもこの次元への干渉に限られ、ましてや異次元への搬送道を作り出す事なぞ出来ぬはず。ならば一体どのようにして事を成したのか。――面目ありませぬ、拙者にはとんと見当が付きませぬ」

「どうやらあれが原因みたい」

 呆れた様子でミアが指差すその方向、そこには、暴走の末に高級輸入車ディーラーのショーウィンドウに突っ込み、ぷすぷすと黒煙を吐く害蟲駆逐兵の姿があった。よく見ると、上部のハッチが開き、操縦席と思しき空間に男が一人座っている。

 ――啓二は自分の目を疑った。

 口から煙を吐き、頭髪をちりちりに焦がし、空ろな目で碧空を眺めるその人物、それは正に啓二と瓜二つであった。