第11回 ( written by たま )

 九月一日。長い長い夏休み、そしてあの不可思議なお祭り騒ぎが幕を閉じ、いつも通りの日常がまた始まる――。

「……あのさあ」

 ふと啓二は立ち止まるとくるりと後ろを振り向いた。

「確かもう安全だから、ボディーガードは付かないって言っていなかったっけ?」

「然り。安全でござる」

「じゃあどうしてついて来るんだよ!」

「愚拙は深亜姫様と次元鍵殿の単なるお供。誓っても、ボデーガードではありませぬ」

「ちなみにボクは今日から啓二の同級生で、単なるオトモダチだからOKなんだよー」

「…………」

 啓二は大きくため息をついた。どちらに対しても無性に反論したい衝動にかられたが、無駄な事だ。どうせうやむやの内にごまかされるのは目に見えている。

 ――結局、夏休みが明けても、元の平穏な日常に戻る事はなかった。それどころか、これからもどんどん普通の生活から遠退いていく、今ではそんな気がしている。

 昨晩も啓二の暮らす橋本家のアパートで、邪馬台国の視察団を招いての歓迎パーティーなるものが催され、深夜までドンちゃん騒ぎが繰り広げられたばかりだ。――この時、使節団員と肩を組み酒を飲み交わす両親の姿を見て、啓二は自分の親ながらその現実適応能力の高さに感心した。

 実はその席で、急遽、二学期(=翌日)から深亜が啓二と同じ学校に通う事が決まり、こうして一緒に登校しているという訳である。無論、昨晩から今朝までに、一体どのような手続きが行われたかについては知る由もない。

 啓二は再びため息をつくと、絣の袴を着こなした高梨老人、そしてセーラー服姿の深亜を交互に見た。

「…………」

「なあに? ぼーっとして、どうしたの?」

「……なんでもない」

「へっへー。今、ボクを見てHな事、考えてたんでしょー」

「むむっ。次元鍵殿とはいえ、そのような破廉恥行為は許されませぬぞ!」

「…………」

 啓二は表情を変えぬまま無言で背を向けると、再び歩き始めた。

「……あれ?」

 てっきり絡まれると思っていた二人はきょとんとした表情で顔を見合わせた。

「どーしたの、啓ちゃん。元気ないぞ?」

「朝から不機嫌な顔をしていると一日が台無しでござる」

 おもむろに啓二は足を止めた。

「……元気がなくて不機嫌で当たり前だ! 昨日の馬鹿騒ぎで、宿題がまだ終わってないんだぞ!」

「なーんだ、そんな事か」

 深亜はやれやれといった面持ちで肩をすくめた。

「なんだ、って、こっちにとっちゃ重要な事なんだぞ! 先生に何て言い訳すればいいんだ!」

「啓ちゃんもまだまだねー」

「なっ」

「ノンノン。前にも言ったでしょ? こういう時こそ、口八丁手八丁で相手を言いくるめなくちゃ」

「左様。将を射んと欲すれば先ず口を射よ――古の大和国の諺にもそうあるではござらんか」

「…………」

 この先もこんな関係が続くかと思うと、少し憂鬱な、だけどちょっぴり嬉しいような、複雑な気持ちになった。

「……あーあ、今日一日、何か事件でも起こって、学校が休みにならないかなー」

 真っ青な空を見上げ、不謹慎な台詞をぼやいたその時。



「あ、あれは……何だ?!」



 すぐ前を歩いていたサラリーマンが突如声を上げた。

 彼が指差す方向を見ると、焼けたアスファルトが発する熱で生じた陽炎の向こう側に、ゆらりと黒い影がうごめいた。

 次第にクリアになる視界に、それは現れた。

 例えるならそれは黒色のタカアシガニ型のロボット。身長約2m。ギリギリと間接部を鳴らしながら、十本の手足を器用に動かし、赤いライトが点滅する目と思わしき装置で周囲をぐるりと見回した。

 一人の女性が金切り声の悲鳴を上げた。

 それを合図に、タカアシガニは突然目的定まらぬ足取りで闇雲に走り出した。不幸にもその進路にいた通行人達は次々にはね飛ばされ、路上駐車は飴細工のようにむちゃくちゃに壊された。そして気が付くと、ロボットの姿はあっという間に視界から消え失せていた。

 竜巻のごとき破壊者の出現に、街中がパニックに陥った。

「い、一体、何だよ! あの蟹ロボットも、この前襲ってきた奴らの兵器か?!」

「いや違いまする」

 呆然とした表情で高梨老人は頭を振った。

「愚拙の見間違いでなければ、我が邪馬台の迎撃型戦闘兵器《インターセプターファイター》――通称、害蟲駆逐兵《デバッガー》であります」

「ちょっと待て、どうして邪馬台国の兵器がこんなところに出てくるんだよ? しかも、暴走してるぞ、あいつ!」

「いやさて、愚拙もとんと見当がつきませぬ……」

「んもう、こんなトコでのんびりとしている場合じゃないでしょ! 行くよ!」

 深亜は乱暴に啓二とモモちゃんの腕を取った。

「ちょっと待て、行くって、まさかあの蟹ロボットを追いかけるのか?」

「違う! あのビルの上に、次元歪《ディメンジョン・ディストーション》が出来てるの!」

 深亜が指差す方向には、地上四十階建ての超高層ビルが、残暑厳しい九月の朝日を浴び、きらきらと照り輝いていた。その屋上から更に数十メートルの上空に、ぽかりと黒い穴のようなものが出現しており、そこから、大量の黒タカアシガニ達が、今まさに地上に向かって降下せんとするところであった。

 啓二はその様を見て呟いた。

「……なんてこった」



「ふふ。謎ですか? 不思議ですか? 知りたいですか? どうしてここに搬送道《データコネクションパス》が出現したのか、そして、どうして害蟲駆逐兵が誤動作を起こしたのか?」

 次元歪が発生したビルから程近い、展望タワーの最上階。

 備え付けの有料双眼鏡で周囲の混乱を見学しながら、例のタクシー運転手は嬉しそうに独り言を呟いた。

「さて、役者もギャラリーも揃いましたし、僕も悪役に馴染んで参りましたので、そろそろ本腰を入れさせてもらいますね。くすくす」



「ねえ、ママー、あのおじさん、さっきからずーっと代わってくれないの!」

「カナちゃん駄目っ、早くこっちに来なさい!」