シイタケおじさん

 最近は機会が減ってしまったが、早く仕事を終えた日は、なるべく歩いて帰るようにしている。伏見から御器所まで一時間ちょっと。夕食前の軽い運動代わりである。

 一昨年の冬のある日、木枯らしが吹く夜道をいつものように歩いていると、大須・赤門通の交差点で四十歳くらいの男性に声を掛けられた。

「お宅、この辺りの人かね?」

 着馴れたジャンパーにジーパン、リュックを背負ったその相手は、人懐こい笑顔で上前津駅への道を尋ねてきた。近かったので簡潔に道順を伝えると、ありがとうと白い歯を見せて笑った。

「実はワシ、これから三ヶ月振りに宮崎に帰るところでな」

 そう前置きして、男性はおもむろに身の上話を始めた。宮崎でシイタケ農家をしているが冬は出稼ぎに出ることが多い。今回はサッポロ浩養園の取り壊し工事で名古屋に来ていたが、今日が最終日で、先ほど仲間との打ち上げを終え、夜行バスで二人の子どもと妻が待つ家に帰るところである。

 何となく相槌を打っていると突然、近くのママチャリを引っ張ってきて、新品同様で捨てるのはもったいないので引き取って欲しいと言い出した。

 慌ててタダでもらう訳にはいかないと断ると、それなら土産でも送ってくれと、胸ポケットから取り出したレシートの裏に住所を書いて寄こした。見慣れぬ漢字をぼんやり眺めていると、男性は急に腕時計を見て言った。

「ついでと言っちゃなんだが、……少し土産代を出してもらえんか?」

 出発まで時間があまりないのでタクシーで行きたいが、土産代くらいしか残っていないので少し出してくれると助かる。そう言って男性は頭を下げた。

 一瞬、どうしようかと迷ったが、財布から五千円札を出して渡すと、何度も頭を下げてから「縁があればまた」と笑顔で大通りの方に去って行った。

 後ろ姿を見送り、ほっとした気分で自転車で帰ろうとしたときに異変に気づいた。タイヤはパンク寸前、ブレーキは利きが悪く、ハンドルはガタガタで安定しない。購入三ヶ月とは思えぬ重いペダルをこぎながら「騙されたかな?」という気がしてきた。だが不思議と怒りや憤りは感じず、自分でも訳の分からないおかしさにクスクスと笑いながら家路に着いた。

 その後、リサイクルショップに自転車を持ち込んだが断られ、最後は粗大ゴミとして処分してしまった。

 結局、もらった住所に手紙は書かなかったが、もし出したらどんな返事が来たのだろうと、今でも時々想像しては楽しんでいる。