その男が店のドアを乱暴に開けると、店の中の客達は一斉に彼の方を振り向いた。次の瞬間、驚きとも羨望ともつかぬ溜息が店の中に充満した。
天井まで届きそうな身長。中型のバッファローなぞ容易く持ち上げてしまいそうな逞しい腕の筋肉。分厚い胸板。精悍な顔に斜めに走る深い傷跡。鋭い目付き。――全てが、男の強さを表していた。この男の登場により、小さな酒場は俄にざわついてきた。
しかし、男はそんな客達の様子には一向に構わず、無言でカウンターへと歩いて行き、一人の客の横に座った。
痩せたその客は、つばの広い帽子を深めに被り、静かにコップの中の液体を味わっていた。突然隣に座った客には見向きせず、ただコップを手に棚のボトルをぼんやり眺めていた。暫くするとコップをテーブルに置き、目を閉じて腕を組んだ。何かを思い出しているのか、時間と共に顔の表情が微妙に変化した。まだ一向に男の存在に気付いていない素振りだった。
「シュミット……だな?」
しびれを切らせた大男が恐ろしく低い声で声を掛けると、相手は目を閉じたまま無言で頷いた。
「なら、話は早い。今すぐ此処で俺と勝負しろ」
「……ヘルムの手下か?」
目をゆっくり開けると、男は立ち上がって彼を見下ろしていた。
「ああ。シュレディンガーという名は、耳にした事がないか?」
「いや、ないね」
「ならば、この場で分からせてやろう」
シュミットは静かに立ち上がると、バーテンに目で合図した。バーテンは軽く頷き、奥のテーブルを指差した。
「こっちだ」
無言で男をそのテーブルへと案内し、向かい合って座った。先程まで固唾を飲んでやり取りを見物していた客達も、二人の座るテーブルを取り囲むようにして集まった。
シュミットはポケットからコインを一枚取り出すと、
「……準備はいいか?」と男に尋ねた。
「ああ」
唸るように答えると、男は腕捲くりをした。
シュミットは右手の親指の爪の上にコインを載せ、強く弾いた。店の照明を反射させながら、一枚のコインは高く舞い上がった。
『ふぁいやーっ』
『あいすすとーむっ』
『だいやきゅーっ』
『ばよえーーんっ』
『ばっよえーーんっ』
『ばっっよえーーーんっ!』
「……勝負あったな」
シュミットは椅子からゆっくり立ち上がると、静かに言い放った。
「くそっ、こんなはずでは……。もう一度勝負だ!」
「その必要はない」
その声にはっと振り返った瞬間、シュレディンガーは灼熱の固まりが腹部を貫通したのを感じた。
「ダ、ダラス兄貴、どうして……」
男の後ろには、サングラスを掛けたスーツ姿の男が、黒光りする拳銃を手に立っていた。その筒先からは、まだ白い煙が立っていた。男が椅子ごと後ろに倒れるのと同時に、女性客の一人が高い悲鳴を上げた。
「奴が【Cの8】に赤ぷよを置いた瞬間に、『燔滅地獄』を予想出来なかった御前は、すでに敗ていたのだ。相手の技を見抜けぬ奴には用がない。……シュミットが『フィーリングの鬼神』と呼ばれているのを、知らなかった訳ではあるまい」
既に男は事切れていた。ダラスと呼ばれたその男は、冷ややかにその死体を見下ろすと、サングラスを外し、シュミットに向き直った。
「今回は貴様の勝ちだ。先程の勝負、篤と見せてもらった。しかし、これで全て終わったと思うなよ。ヘルム様には、私を始めまだ有能な部下が多数いる。――貴様と戦える日を楽しみにしているぞ」
そう言い残すと、男は颯爽と出口へと歩いて行った。
シュミットは、その後ろ姿をじっと見詰めていた。ドアの向こうに姿が消えると、倒れている男の側まで近寄り、白いハンカチを取り出してその顔にそっと掛けた。そして、無言でカウンターに金を置くと、ざわめく客の間を縫うように店を出ていった。
外に出たシュミットは、コートの内ポケットから煙草を取り出して火を付けた。乾いた風が慌ただしく駆け抜けていく。夕焼けを背に受けながらシュミットは一人街を去っていった。
――「ぷよぷよ」をめぐる男達の戦いは、まだ始まったばかりだ。