その手を伸ばして (四)

 気が付くとチェックアウトぎりぎりの時刻だった。

 ナイトテーブルの上の携帯電話を手に取ったが、予想通り着信履歴はなかった。がっかりした一方で少しほっとしたような複雑な気持ち。どうやらここにきてまだ迷っているらしい。しかし残すところ今日一日。今更、後悔はしたくない。

 水ぶくれができた足の指にバンドエイドを張り、最小限の荷物をナップサックに詰め替えるとホテルを後にした。そしてボストンバッグを駅のコインロッカーに入れると、山陽本線で小倉駅へ向かった。駅近くにあるはずの目的の店舗――初日に新幹線のホームで看板を見たインターネットカフェは程なく見付かった。

 インターネットカフェの利用は初めてだったので、カウンターで店員に利用方法を聞き、奥へと進んだ。そこは不思議な空間だった。パーティションで区切られた一畳ほどの空間一つ一つにPCとリクライニングチェアが備え付けられており、部屋の周囲は漫画や雑誌の本棚で埋め尽くされている。一角にはセルフサービスのドリンクバーがあり、時間内は自由に飲めるようだ。辺りを見回しながら、これはカプセルホテルと同じ感覚だなと思った。

 指定された席に座りPCを起動すると、とりあえずメッセンジャーを立ち上げてみた。だが案の定、チトセはログインしていなかったので、当初の予定通りメールでメッセージを送ることにし、テキストエディタを起動した。

 ディスプレイが煌々と輝く薄暗い空間にカタカタ、カタカタカタとキータッチ音が響く。書いている内容とは裏腹に、意外なほど僕の心は静かだった。特に前もって考えていたわけではないが、頭で考える前に指先が動く、そんな感じだった。

 我に返ると、いつの間にかかなりの長文になっていた。だが全てをメールに託す気はない。本当に言いたいことは自分の口からと初めから決めていたはずだ。それまで書いていた文章を全て削除して大きく深呼吸すると、気分転換にと、チトセと同じ年齢だった頃の自分を思い浮かべてみた。

 ――そういえば、初めてラブレターを書いたのもちょうどその頃。確か高校一年の夏だ。相手は別の高校に進んだ中学の同級生。忘れようと思っても忘れることができず、中学時代に伝えられなかった思いを必死で書いた。だがとにかく感情が先行してまともな文章にならず、書いては消して、書いては消してを幾度となく繰り返し、三晩掛かってようやくそれなりの文章になり、封書に入れて投函した。結果は惨敗だったが、今となってはいい思い出だ。

 両親が割と早婚なこともあり、当時の僕は三十歳にもなれば当然、結婚していて、子どももいるに違いないと思っていた。少なくとも十五年も十六年も未来の自分が同じようなことをしているとは想像できなかったに違いない。チトセは、その想像ができない年齢差の相手と会ってくれるだろうか。いや、会って欲しいからこうしてメールを書こうとしているのだと自分に言い聞かせ、再びキーボードに向かった。

 一通り書き終えると、ウェブメールサービスにアクセスし、先に書いた本文を貼り付け、簡単に推敲してから送信した。処理完了のメッセージを確認後、リクライニングチェアに体重を預けて目を瞑り、小さく息を吐いた。

 今更だが、最初からこうすればよかったのかもしれない。

 あとはチトセがこのメールをいつ読んでくれるか、ただそれだけが気掛かりだった。

 こんにちは。

 三日振りになりますが、もっと時間が経ったような気がします。元気でしたか。

 下関から少し離れ、小倉にあるインターネットカフェからこのメールを書いています。

 先に謝っておきます。――ごめん。

 本当は直接、会った時に言おうと思っていたけど、会えないかもしれないという気持ちに負けてしまい、このメールに書くことにしました。

 メールやチャットでしかやり取りしたことがないので、顔も声も知らないし、住んでいるところも年齢も全然違うけれど、――それでも一人の女性としてチトセのことが好きです。

 自分から会いたいと言いながら、実際に会ってみたら失望されるかもしれないという不安があるのは確かです。でも、チトセに会いたいという気持ちに偽りはありません。直接、会って話をした上で自分の気持ちを確かめたい。これが今の僕の正直な気持ちです。

 このメールを送ったら、また下関に戻ります。

 おとといは吉見海岸で海水浴をし、昨日は唐戸と市立美術館に行って来ました。最終日の今日は、とりあえず長府にでも行ってみようかと思っています。

 もし会ってくれる気になったら、携帯電話まで連絡を下さい。

 それではまた。

 昼食後、下関駅に戻った僕は、気持ちを切り替えて下関観光の続きをすることにした。

 予定通り最終日の目的地は長府とした。ここは仲哀天皇が熊襲平定に際し建設した豊浦宮があった地とされる。また中世まで長門国の国府が置かれ、江戸時代には長州藩の支藩として栄えた城下町である。位置的には前日に訪れた市立美術館から更に北に進んだところにあり、現地までバスで行くことにした。

 長府城下町のバス停で下車し商店街を抜けると、石畳と練塀が続く小道に変わった。今まで気が付かなかったが、無数のアキアカネが空を飛び交っている。まだ夏はこれからだと思っていたが、こうして少しずつ季節は秋に向かっているのだろう。少し早い初秋の足音に耳をそばだてつつ、城下町風情を味わいながらゆっくり歩いた。

 まずは忌宮神社(いみのみやじんじゃ)に行った。先に書いた豊浦宮の跡と伝わる場所で、ちょうど「数方庭祭(すほうていまつり)」の期間に当たり、準備中の屋台や大幟(おおや)と呼ばれる大きな竹、切籠(灯籠)を吊す笹が境内のあちこちに立ててあった。

 賽銭代わりに購入したパンフレットによると、この祭りの由来は次の通りである。豊浦宮に新羅の将・塵輪(じんりん)に率いられた新羅・熊襲の連合軍が押し寄せてきた際、仲哀天皇は自ら弓を取ると塵輪を射殺し、敵の軍勢を退けた。この時、勝利を祝って皇軍が矛を翳し、旗を振って討ち取った塵輪の周りを踊ったのが祭りの始まりと伝わる。毎年八月七日から十三日までの間、毎夜、大幟や切籠を手にした人々が塵輪の首を埋めた場所(鬼石)の周りを踊るらしい。だが、残念ながら今日の新幹線で帰らなければいけないので、祭りの様子を想像しながら境内を歩いた。無計画な旅行はこういうところが悔やまれる。

 次に長府毛利邸を訪れた。明治に建てられた武家屋敷で、邸宅・庭園共に雰囲気が落ち着いていた。夏休みの宿題なのだろう、何人かの中学生が縁側で熱心に庭の景色を写生していた。

 続いて向かったのは巧山寺。鎌倉末期の開山後、この地方の歴史にしばしば名を残す臨済宗の寺である。南北朝時代に京都を追われた足利尊氏が寄進をした記録があり、当時から付近の政治的・軍事的拠点となっていたことが窺い知れる。戦国時代には周防・長門を統一した大内氏に安堵されたが、大内氏が滅んだ後は毛利氏の庇護を受け、後年、初代長府藩主・毛利秀元の菩提寺となった。また幕末に高杉晋作が挙兵した場所としても知られている。山門・仏殿だけでなく周りの木々までが荘厳で素晴らしく、多くの観光客がその一つ一つに足を止めて溜息を漏らしていた。ちなみに敷地内に幕末・維新の資料を収蔵する長府博物館があったが、訪れた日は休館日だったので残念ながら見学することはできなかった。

 巧山寺から少し東に下った場所に笑山寺という名の寺があった。ここも長府毛利家の菩提寺の一つで、一風変わった寺号は秀元の父・元清の戒名「洞雲寺笑山常快」が由来とのことである。このユニークな法名が贈られた元清という人物はどのような人となりだったのだろう。多くの家臣に愛された殿様だったのだろうか。先の巧山寺に比べると仏閣に威厳がなく、また歴史的に見てもさほど重要な場所ではないためだろう、観光客は自分一人だけだった。だが、どこか柔らかい印象の構えが個人的に気に入り、静かな境内でしばらく時間を過ごした。

 その後、何ヶ所か史跡を回ったが、太陽が西の空に傾き始めたのを機に下関駅へと戻ることにした。バスに乗り、薄紅色に染まる瀬戸内海と空を眺めているうちに、忘れようとしていたチトセへの思いが再び胸を占め始めた。

 ――もし自分がチトセの立場だったらどうしただろう。仮に好意を抱いていたとしても、年が離れた見知らぬ異性に会うには勇気がいる。相手に対する勇気、そして自分に対する勇気。それらをクリアできるほど二人の関係は進んでいただろうか。今、この状況から考えれば、答えは「否」だろう。出発直前になって、「部活でひょっとしたら行けないかもしれない」と連絡が入った時点で、この結末は予想できていたはずだ。そもそも最初から一人芝居だったのかもしれない。

 あれこれ考えていても、タイムリミットを切ってしまっては仕方ない。ナップサックから文庫本を取り出し、意識をそちらに向けるように努力した。

 下関駅に到着後、コインロッカーからボストンバッグを回収し、すぐ小倉駅へと向かった。新幹線の発車時刻までそれほど余裕がなかったので、構内のハンバーガーショップで手早く夕食を済ませ、指定のプラットホームへと向かった。

 ホームに着いて電光掲示板を見上げると十九時十八分を示していた。出発時刻までおよそ二十分、そろそろ車両が到着する頃だ。向かいのホームにいる人々を眺めながら、時間が過ぎるのを待った。

 突然、携帯電話が鳴り出した。会社からの緊急コールかとポケットから取り出すと、青く光るサブディスプレイに「公衆電話」の四文字が表示されていた。

 思わず息をのむ。僕は慎重に開いて通話ボタンを押し、耳に当てた。

「もしもし?」

「…………」

 しばらく待ってみたが相手は黙ったまま返事をしなかった。耳をすましても聞こえてくるのは、ざわざわという喧噪。だが電話を掛けてきている相手に確証があった。高まる胸の鼓動を感じながら、僕はゆっくりと尋ねた。

「チトセ?」

 返答はなかったが、否定もしなかった。チトセに違いない。

「今、どこ?」

 しばらくして、遠慮がちな声がようやく返ってきた。

「……十三番ホーム、キオスク裏の電話ボックス」

 その意味を理解するのにほとんど時間は掛からなかった。

 振り向くと人波の合間から一瞬、それらしき人影が目に入った。

「分かった、すぐにそっちに行く!」

 電話を切りバッグを担ぐと僕は駆け出した。

 チトセにもうすぐ逢える。

 人波をかき分けながら、僕は最初の言葉を捜していた。