ローテーション (2)

 律子の運転は一言で表現すると「スピーディー」。スピードはそれほどでもないが本人の性格を反映した実にアグレッシブな運転で、加速や減速・ハンドルさばきが尋常ではないほど激しいため、体感速度はかなり上だ。

 こうして何度も同乗させられているのである程度は慣れたが、初めの頃は正直、生きた心地がしなかった。わたしの車が軽だということを忘れているとしか思えない。

「律子って車の運転、好きよね」

「ん?」

 何を今さらという表情で律子はちらりとわたしを見て、すぐに顔を正面に戻した。

「嫌いじゃないけど、それがどうかした?」

「そんなに好きなら自分の車を買えばいいのに」

「維持費が掛かるからパス。それに他人の癖がついた車を乗りこなす方が楽しいし」

「この子は新車のときから誰かさんに酷使されてるから、癖があったとしてもわたしのじゃないと思うけど」

「うるさいわね。どうせあんたは大して乗らないんだから、こうして使ってあげてることに感謝しなさい」

「はいはい」

 これ以上何を言っても無駄なので、黙って外の風景に目を移した。

 そろそろ日が変わろうという時刻だったが、今走っている国道は高速道路のバイパスに当たるためか多くの車が行き交っている。様々な大きさ・形、色とりどりの車体が目の前を通り過ぎて行く。

 しばらくほお杖をついて観察していたところ、配送車やダンプカー、仕事帰りと思しきサラリーマンの運転するセダンが大半で、わたしたちのような凸凹ペアが乗った車はどうやら珍しいようだった。

「みんな忙しそう」

「暇なだけよ」

「そうかな?」

「そうよ。こんな時間に車で突っ走っている時点で暇人確定」

「当然、わたしたちもよね」

「言っておくけどあたしは違うから」

 そんな他愛もない会話をしているうちに最後の曲「栄光の架橋《かけはし》」が流れ始めた。何となく嫌な予感がして隣に視線をやると、さっそくカーデッキのリピートボタンに手を伸ばしていた。

「……その曲、好きね」

「うん」

 律子は真顔で大きく頷いた。

「何度聴いても飽きない。あたしの元気ソング」

 何年か前のオリンピック以来、散々聴き続けたのにまだ飽きないんだ――と心の中で呟く。もちろん命が惜しいので口になんかできない。

「律子はこれを聴くと元気になるの?」

「ん、ちょっと違う。『栄光の架橋』を聴いて元気づけられる人がいるということに元気づけられるというのが正しいな」

「…………」

 早口言葉のようなフレーズを頭の中でリフレインする。元気づけられる人がいる、ということに元気づけられる?

「ごめん、よく分からない」

「別に理解しようとしなくていいわよ」

 ときどき意味の分からない発言をするが、言葉で表現できるような簡単な理屈ではないのかもしれない。好きだから好き。それだけでいいような気もする。

 それからわたしの車の中ではひたすら同じ曲が流れ続けた。途中から歌い出した律子は四五回ほど熱唱し、その後は黙って運転に戻った。時折、鼻歌を歌って楽しそうにハンドルを握っているが、ひょっとしたら歌い疲れたのかもしれない。

 ――数えていたわけではないが、経過時間からしてかれこれ十数回リピートした頃だろうか。

「飽きたっ!」

 突然、律子は大声を上げるとCDの再生を止めた。

「『栄光の架橋』、もう飽きたーっ!」

「あのー、一時間以上も聴かされているこっちは、かなり前から聴き飽きているんだけど」

「他に何かCD、持ってきてない?」

 無言で首を横に振ると、律子はオーバーに肩をすくめてみせた。

「やれやれ、まったく気が利かない子ね」

「わたしは律子の彼氏でもマネージャーでもありません」

「ノンノン。そういう冷たいリアクションはお笑い失格よ」

「誰がお笑い芸人ですか!」

 律子はわたしを無視したままハンドルを爪先でトントンと叩き、「よし!」とつぶやいた。

「それじゃ、現地調達といきますか」

 しばらく車を走らせるとタイミングよく二四時間営業のCDショップがあったので入ってみることになった。何度かここを通っているが、これまで見た記憶がないので、かなり最近になってできたのだろう。

 駐車場に勢いよく車を突っ込み、颯爽と降りた律子はハンドバッグを振り回しながら入店した。特に買うつもりもなかったので、真っ先にJポップのコーナーへと向かった律子のあとについて行き、適当に見て回ることにした。

 当てもなく新譜アルバムのディスプレイを眺める。最近、あまり真面目にチェックしていなかったので前からかもしれないが、何となく明るめの色彩のジャケットが多いのは今の季節と関係しているのかもしれない。

「あ、あれ?」

 ふと気がつくと、ついさっきまですぐ隣にいたはずの律子がいない。どこに行ったのだろうと辺りを見渡すと、別の場所でかがんで何やら物色していた。その場まで移動し、背中から覗き込む。

「何かいいの、見つかった?」

「よし、これに決めた!」

 すくっと勢いよく立ち上がると、律子はにっこり笑ってCDケースを目の前に差し出した。受け取って見ると原色系の油彩で描かれた目にも眩しいジャケットで、初めて見るアーティスト名だった。棚の方に目をやるとインディーズのコーナーだった。

「これ、お気に入りの歌手?」

「もちろん知らないわよ」

 ジャケ買いだから知らなくて当然、と律子は胸を張って言った。確かにその言い分は間違っていない。わたしはあきれ顔で苦笑いした。

「チャレンジャーね」

「臆病者は戦場より去るべし。失敗を恐れていては前に進めないわよ」

 その台詞を思い返すのにそれほど時間は掛からなかった。

 精算後、車に戻ると律子はさっそく包装を剥がしてCDをセットし、車をスタートさせた。

 レゲエ調の曲に乗せた若い男性ボーカルのラブソングで、少し変わった曲の作りだなとぼんやり聴いていると、突然、律子は小さく舌打ちした。

「何よこれ、もっと有名どころにしておけばよかった」

 そう言うや否や、手を伸ばしてイジェクトボタンを押した。

 まさかの行動に目をしばたいた。

「え? まだ一曲目が終わったばかりよ。せっかくだからもうちょっと聴かない?」

「絶対に嫌。声も歌詞も曲も最低」

「そんなに嫌い?」

「あたしの前で再生したらコロス」

「…………」

 潔いというか好き嫌いがはっきりしているというか――嫌いなものに対しては呆れるほど遠慮がない。やれやれと思っていると、急に取り出したCDを放り投げてきた。慌てて空中でキャッチする。手元を見ると、幸い再生面には傷も指紋も付かなかったようだ。

「ちょっと、CDを投げないでよ!」

「あんたにあげる。車を出してくれたお礼よ」

「いらないものを押しつける気?」

「心のこもった謝礼に文句を言わない」

 そう言っておもむろにFMラジオに切り替えた。

 よほどCDが気に入らなかったのか眉をひそめて口を尖らせ、不機嫌そうな横顔をしている。こういうモードに入ったときには、触らぬ神に祟りなし。しばらくはそっとしておこう。

 ラジオから流れ出したJポップのヒットチャートを聴き流しながら、窓の外に目を向ける。

 二月も下旬に差しかかり、長い冬が終わりを告げ、季節は春へと向かっている。別れ、そして出会いの季節。小さく窓を開けるとひんやりと冷たい夜風が車内に吹き込んできたが、どこか柔らかな匂いを含んでいた。

 ―― (3)に続く ――