潮の満ち引きする音が、夜風に乗って優雅な小夜曲を奏でている。
眩いばかりの満月の陰と夜景とに彩色された水面は、船舶が時折通り過ぎ行く度に、何とも言えない美しい幾何学模様を描く。
防波堤の上に、一組の男女が認められた。
二人は海を眺めていた。
肩を寄せ合い、ゆったりと波打つ水面を見つめ続けていた。互いに黙ったままであったが、隣の相手の存在、ただそれだけで十分だった。
二人だけの甘美な時間が過ぎていく。
――突如、汽笛の音が藍色の空気を振るわせた。
長い、長い、汽笛だった。
それを合図に、静止していた時間が再び動き出した。
突然男は背を向けると、靴底を鳴らしながら歩き始めた。
女が静かに見守る中、男は数歩進んだ所で立ち止まった。そして、落ち着いた動作でコートの内ポケットに手を入れると、中から白色無地の包装紙に包まれた小さな箱を取り出した。
男は包みを握りしめると、真剣な表情で女の方を振り返った。
「君に、渡したい物がある」
「…………」
女は無言のままゆっくり近づくと、男の手を包み込むようにそれを受け取った。
そして、相手の目を見ながら、少し震えた声で言った。
「……開けてもいいかしら」
「ああ」
包装を解く紙の音が、静寂な港に響く。
――それは小さな黒い革製の箱であった。
「これは……?」
「君への誕生日プレゼントだ」
「……覚えていてくれたのね」
「当たり前じゃないか」
女は声にならない声で感謝の言葉を呟くと、一度深呼吸し、落ち着いた動作で蓋に手をかけた。
中から現れたのは、時計であった。
「これをわたしに……?」
女は箱の中身に視線を落としたまま、独り言のように呟いた。
「ああ。もちろんだ」
「…………」
眉をひそめ手の中の物を持て余している女に対し、男は得意げに解説を始めた。
「いいか、これはただの時計ではないんだ。時刻だけでなく、気圧・温度・湿度・方位・高度が分かるようになっている。おまけに、腕から取り外すとクリノメーター(*)としても使えるような設計になっているんだ。こんな高機能な時計はそう滅多にないぞ。――そうそう、あとな、左下にボタンがあるだろ。それを押すと、世界二十三都市の時刻も一瞬にしてわかるって寸法だ。更に、特殊防水加工がしてあって、三十気圧の水圧まで耐えられる構造になっている。それにまだまだ面白い機能があって……」
(*)クリノメーター
地学者の三種の神器(ハンマー・クリノメーター・ルーペ)の一つ。地層の走向傾斜(地層面の方向)を測定する道具である。詳しい解説は専門書に委ねる。
◆留意点
理系人間は概して合理的な考え方をする傾向があり、「外見よりも機能」を重視するのが普通である。